「高橋文庫」は前山形高校長、前東北大学学長、学士院会員の高橋里美博士の所蔵されていた西洋哲学関係洋書(18世紀~20世紀)のコレクションです。 このページでは「高橋文庫」中の図書資料1836点についての一覧が閲覧できます。
「高橋文庫」の分類別一覧(冊子体目録形式 PDFファイル(445KB))がご覧になれます。
(配列は日本十進分類法の分類順で各分類の中は各標目のAlphabet順によっています)
100 哲学のみ (PHILOSOPHY)
200 歴史のみ (HISTORY)
300 社会科学のみ (SOCIAL SCIENCE)
400 自然科学のみ (NATURAL SCIENCE)
700 芸術のみ (FINE ARTS)
800 語学のみ (LANGUAGE)
900 文学のみ (LITERATURE)
製本雑誌のみ
山形大学所蔵「高橋文庫」について
本文庫は前東北大学学長,学士院会員,文学博士高橋里美氏の所蔵に係る哲学関係を主とする専門洋書1954冊、(昭和32年6月現在)を網羅するものである。
その内容は西洋哲学,殊にドイツ哲学関係が大部分を占め,それに文学,自然,社会関係の専門書を加えて,数量と規模に於ては必ずしも多大を誇り得ないかも知れないが,現時では入手至難と目される相当多数の稀覯本をも含み,博士の半生に亘る苦心蒐集の結晶として質的には世に類を見ない精選度と統一性を有している。
高橋博士は明治19年11月28日山形県東置賜郡上郷村上新田に生れ、米沢中学,旧制一高を経て40年7月東京帝大文科大学哲学科に入学,43年7月卒業直ちに大学院に進み,大正4年9月六高講師から仝校教授,8年9月新潟高教授,10年3月東北帝大理学部助教授,後法文学部に移り,13年10月から哲学研究のため独仏に留学,帰朝後昭和3年2月法文学部教授,その後学部長を勤めること3期,22年10月山形高校長として転出,23年4月文学博士の学位を受け,仝年7月退職,郷里に移り,24年4月東北大学学長に選ばれ,爾後3選され,その間25年には学士院会員に推され,32年6月学長を辞任の上東京都に居を移し現在に至っておられる。
博士は以上の略歴によっても知られる如く,45年の長きに亘って教育及び教育行政上に於て輝かしい業績を挙げられたことは今更茲に繰返して述べるまでもないことであるが,又博士が専門の分野に於て学究としてもその高邁精緻な思索力を駆使して世に高橋哲学の名を以て呼ばれる独自の哲学体系を樹立し,西田幾多郎博士の西田哲学と並んで本邦哲学界の巨峯と仰がれていることも炳乎たる事実である。
『フッセルの現象学』(昭和6年7月,第一書房),『全体の立場』(昭和7年7月,岩波書店),『体験と存在』(昭和11年3月,岩波書店),『歴史と弁証法』(昭和14年2月,岩波書店),『包弁証法』(昭和17年8月,理想社),『哲学の本質』(昭和22年5月,福村書店)等の名著は悉く博土の積年の研究の成果たる論文集であり,「全体の立場」,「包弁証法」から「一在愛」の立場に至る博士の体系はその初発的骨格に於ては既に明治45年の処女論文『意識現象の事実とその意味-西田氏の『善の研究』を読む-』に展開された西田哲学批判の中に胚胎していたと言うべく,学究としての博士の半生は一貫してこの骨格の完成と肉付けを目標とせられたものであることはこれらの諸論文が雄弁に物語っている。
然し,高橋哲学は哲学に於ける理論性の徹底化を性格とする以上は,これと一在愛の立場とを矛盾なく統一するためには,ギリシァ以来の西洋哲学の理論的伝統との対決が必然的に要請された筈であり,以上の諸論文は新体系樹立を目ざす博士の不断の精進と決意を証示すると共に,又西洋哲学とのこの対決の足跡を示してもいる。
高橋哲学成立の真の過程はもとより人の容易に窺い得ない神秘に属するものであろうが,少くとも人々は本文庫に於てこの足跡を探る何らかの手懸りを見出し得るのではないかと思われるので,その意味で本文庫は貴重な文化財たるを失わない。
本文庫は更に利用者に対して高橋哲学の解明に止まらず,哲学はもとよりー般文化の進展にとって幾多のみのり多い成果を約束する宝庫であり,未来への文化財である。
殊に之が地方文化の向上発展に寄与することの多大なるべきは勿論,本邦文化の進展にとっても大きな役割を果すべき価値を蔵しているのであって,この目録がその期待を充すことに役立つよう祈るものである。
最後に本文庫設置に当っては山形大学関係では学長関口勲氏,文理学部長深町弘三氏,前文理学部長花岡謹一郎氏,教育学部長島津秀雄氏,エ学部長篠崎平馬氏,前農学部長石川武彦氏,及び本学教授村岡晢氏,中野康存氏をはじめ全学教官職員の諸氏,東北大学関係では主として同大学教授細谷恒夫,木場深定,林竹二の三氏の長期に亘る努力と配慮に負うところが多かった。
学外においては山形県知事安孫子藤吉氏,山形市長大久保伝蔵氏,篠田甚吉氏,市村利兵衛氏,橋本精二氏をはじめ各界の名士の方々及び旧制山形高等学校ふすま同窓会々員諸氏の理解ある協力を辱うし,又受入手続に於ては丸善仙台支店の厚意に俟つ所が多かった。茲に記して深甚の謝意を表する次第である。
昭和33年3月
山形大学附属図書館長 田中 菊雄