出典:『佐久間文庫目録』昭和42年11月,山形大学
序
序
世はまさに宇宙開発の時代となり、人類の英知はその住む地球上はもちろん、さらに広く遠く大宇宙へと伸びつつあります。この時にあたり、数学は人類の文化発展に対して大きな役割を占め、それに貢献して参りました。
かえりみれば、わが山形県は徳川時代に和算の非常にさかんなところでありました。そして、安島直円と会田安明の二大数学者を輩出致しました。その一人会田算左衛門安明については、昭和41年9月生地山形市において盛大な150年祭が行なわれ、数々の記念行事が持たれました。このよき時に、会田の弟子の直系である佐久間家より貴重なる和算書1276冊と1包が本学に寄贈されましたことは、本学にとって誠に感謝とよろこびに堪えないところであります。
この図書は、わが国数学史上極めて貴重な資料でありますので、「佐久間文庫」と名づけ、永くたいせつに保管し、研究調査に資する所存であります。聞くところによれば、すでに本蔵書は本学に保管されて以来わずか1年あまりの間に、数多く学界で調査引用されているとのことで、よろこびこれにまさるものはありません。
ここに、佐久間文庫の目録を作成印刷するにあたり、寄贈者佐久間森一郎氏に深くお礼を申し上げますとともに、本文庫が学術研究にいつそう活用されますことを願ってやみません。
昭和42年11月
佐久間文庫の由来
佐久間文庫の由来
二本松藩士渡辺治右衛門-(1767-1839)は、天明8年22才で会田安明(1747-1817)の門弟となった。そして、寛政9年31才のとき二本松に帰ってからは、江戸から安明の著書を借用して伝写につとめた。
渡辺一の門弟に佐久間正清質(1786-1854)、庸軒佐久間二郎太郎纉(1819-1896)、完戸佐左衛門政彜(1782-1865)、市野(市川)金助茂喬、葛西通之亟泰明などが出た。このうちで、佐久間質・纉父子の跡をついで、佐久間綱治成己(1851-1873)、佐久間広吉(1860-1907)が三春で佐久間派を守り、明治の末年に及んだ。この間に弟子を養うこと数千人の多きに達している。
一方、二本松の完戸政彜の後には、信夫の丹治賜庄作、佐藤元竜田、尾形貞蔵、長沢忠兵衛、長沢辰蔵、助川音松、安達の植野善左衛門らが、和算の最後の花を咲かせた。
時たまたま慶応2年、広島の法道寺善の来遊があり、和算の最高峰に位する転距軌跡、およびそれに伴う重心問題が、丹治庄作、尾形貞蔵らによって研究された。その成果は、福島市の近郊の(例えば黒岩虚空蔵の)算額に今日も見ることができる。
この文庫は、これらの人々が研究して書きしるした著書、および会田安明、渡辺一の著書の伝写などから成っているものである。今回、佐久間纉の孫に当たる佐久間森一道翁の好意によってこの文庫が山形大学に寄贈されることになった。会田安明の150回忌に際して、昭和41年8月につつがなく会田の郷里の山形大学に帰ることになったのである。
この文庫は、会田安明から発した最上流算学の永遠なる記念となるのみでなく、わが国和算の真髄を如実に示す貴重なる文化財といわねばならない。
なお、同じく会田の150回忌を卜して、山形市長大久保伝蔵氏の御好意により、山形市教育委員会所蔵の和算書120冊も本学に寄託されたことを併せ記しておく。
凡例
凡 例
- この目録の分類は、寄贈者佐久間森一郎一家の和算史上の地位、および和算史研究の便宜を勘案して行なった。
- 佐久間家で整理した番号が1冊1冊に丹念に付せられており、それによれば542点、1276冊1包となる。これを上記1の趣旨に従って分類をしなおし本目録を作成した。
- 分類整理に主としてあたったのは、松岡元久(山形大学)および平山諦(東北大学)の両名である。
- 各書名の前に附せられた番号は、寄贈以前に佐久間家で整理した番号である。各書名の後に付せられた番号は、本学図書館において新しく整理されたものに対する番号である。右端の( )内の数字は冊数を示す。「刊」とあるのは刊本の意味である。
- 分類整理にあたっては、伝写の途中で年紀その他の逸脱されたものの検討、および写本の筆跡鑑定をできるだけ行なったが、まだ完全ではない。
- 各書ごとに、内容を示す簡単な説明を付するよう配慮したが、不詳のものも若干ある。それらの書については、?をつけるか、空欄のままにするかしてある。
- 山形市教育委員会所蔵の和算書目録を巻末に付録として収録した。これについての解説、凡例は同目録の前に記してある。